キレイになりたい気持ちは誰でも平等なはずなのに…
連載が始まると、「VOCEで芸人なんて見たくない」とか「イケメンじゃないくせに」とか「ナルシストでキモい」とか、手厳しいDMやコメントをいただくことがありました。もちろん傷つきましたが、そのたびに編集者さんからの「そこがいいんです」が繰り返し脳内再生されました。そして、逆に「僕にしか伝えられないことがたくさんあるんじゃね?」と奮い立つものを感じました。
連載の回が進むごとに、点と点が線になっていくのを感じました。そして、僕へのオファーは「美容の新しいフェーズの扉を一緒に開けましょう」というVOCEからのメッセージ(そんなことは一切言われてはいないのだけれど)なのだと気づき、使命感にも似た無限のエナジーが注入されていくのを感じました。「キレイになりたい」と思う気持ちは誰にでも平等で、それを努力したり、楽しんだりすることは、もっと自由に、気軽にチャレンジできていいはずだ。僕がそれを自ら体現し、見せていく。そう考えるようになったのです。
僕が明るいテンションで「美容って、まじ楽しい!」と発信すると、「ブスだから美容は楽しめない」「美容を楽しむほど若くない」という意見が目につくようになってきました。「男子はメイクをしただけで褒められるけど、女子はメイクを“しなくてはいけない”。なんなら、しないと失格という烙印を押されてしまう」という切ない現状があることにも気がつきました。このままメンズメイクが当たり前になってきたら、「現状のルッキズムの問題をさらに助長するのではないか」という指摘をいただいたこともありました。
美容って、レジャーになる人もいれば、枷(かせ)になる人もいるんじゃないか?
美容に真剣に取り組むことで、社会にあるいろいろなことが見えてきました。美容というものをもっと広い視野から見なければならないのではないだろうか、と感じるようになりました。
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「キレイになる」以上に大切だと考える美容の意味