この記事を書いたのは…
ライター
横川 良明(よこがわ・よしあき)さん
1983年生まれ。大阪府出身。テレビドラマから映画、演劇までエンタメに関するインタビュー、コラムを幅広く手がける。著書に『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版)、『役者たちの現在地』(KADOKAWA)がある。
Twitter:@fudge_2002
「推し疲れ」は、推し活生活を見直すサイン
楽しかったはずの推し活ライフを曇らせる「推し疲れ」。その理由は、前回記事で挙げた通りですが、実際、推し疲れを感じたら、どのように対処すれば良いのでしょうか。巨大すぎて持て余し気味な推しへの感情との向き合い方について考えます。
推し活は楽しくやるが大前提。しんどくなったら離れてみて
推しにいくら投資をしても見返りなどありません。もし見返りがあるとしたら、それは推しがいなきゃ知らなかった楽しい時間。ですから、その楽しささえもが失われつつあるのなら、一度、推しと距離をとってみることを考えてもいいのかもしれません。
僕の思う推し活のいちばんいいところは、永遠の一方通行であること。こちらが勝手に沼に落ち、勝手に推し続けているだけです。自分が推しをどうこうできるなんて考えもしません。
その分、降りるときも自由に降りればいい。推しの許諾をとる必要さえないのです。この気やすさこそが、推し活の魅力ではないでしょうか。
リアルな人間関係だとそうはいきません。人間関係を清算したいなと思ったとしても、一方的な断捨離はトラブルのもと。どんな恨みを買うかわかったものではありません。
でも、推しは来る者拒まず去る者追わず。たとえ降りても良心の呵責に苛まれる必要は一切なし。なんならグッズやら雑誌やらを全部売りに出せば、それなりの臨時収入になるケースも。あぶく銭でちょっとお高めのランチを楽しむのもアリでしょう。
推しを失う不安や寂しさに足踏みする人もいるかもしれません。ですが、安心してください。もう二度と恋なんてしないと泣き濡れた頬も乾かぬうちに、新しい恋に溺れるのが人間というもの。なんならオタクとは軽率に沼に落ちることで定評のある生き物です。気持ちを切り替え次なる人生のページをめくったら、早々と新たな推しと出会えるかも。
降りることができなければ、脳内バグを修正してみて
と言っても、そう簡単に降りられない人も多いですよね。その場合はやはり自分の中で整理をつけることが大事です。
推しにせよ、運営にせよ、ついモヤモヤしてしまうのは、「こうあってほしい」という理想像を勝手に当てはめているからかもしれません。
決して忘れてはいけないことは、推しはあくまで赤の他人であること。どんなにインタビューを読みふけって推しのことを理解したつもりでも、めきめきとスキルを上げていく推しに母のような感情を抱いたとしても、決して推しは自分の恋人でもなければ子どもでもない。なんなら直接の知り合いですらありません。
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推しの供給が多すぎる?