「好き」との出会いは運次第。だから練習が必要
自分の好きなものが分からない、という人に伝えたいこと。前回は「何でも知ろうとする癖をつけておいたほうがいい」という話をした。それはなぜか。
つまり、普段から素振りの練習をしてなかったら、いざ球が来ても当たらないよってことなんだ。これは運も同じで、いつ目の前に飛んでくるかは分からない。それなのになぜかみんな、いい球が来たらその時だけ振ればいいと思っちゃうんだよね。
僕にとってスサノオを調べることは、この素振りみたいなものだ。その知識が活きるかどうかは分からない。でもスサノオのエピソードから何か気づきを得られるかもしれない。もちろん、つながらなかったらそれでいい。楽しいからやってるだけで、それで十分満たされているからね。
ただ振り返ると、僕は自分が興味をもってハマったことが、他のやりがいにつながることが多いんだ。
最近、僕はカメラにハマっている。氷川神社を訪れたこの日も、買ったばかりの一眼ミラーレスのカメラを持っていってたくさん撮った。
始めたきっかけは、インスタグラムにアップした写真を待ち受けにしたいと言ってもらったり、温かいコメントをもらったりと、みんなに喜んでもらえるようになったこと。スマホで十分撮れるじゃん、っていうのも一理あるけれど、せっかくなら僕は最高の状態で届けたいと思う。手に入れたカメラを使いこなすために独学で写真の勉強もしている。
そうやっていい写真が撮れると、次はどうやってファンの人に届けようかと考える。カレンダーしにようかな、いつか写真集なんかも出せたらいいな。今では、いつか子供たちが手が掛からなくなったら、カメラとバックパックひとつで世界中を旅しよう、なんて考えてもいる。好きなことって、こうやって人生につながっていくんだろう。
何かに夢中になれば、要らない不安を忘れられる
それに探究している間は、不安や悩みに振り回されることもない。
僕はもともと、常にいろいろなことを考えすぎてしまうタイプだ。他人や世の中のことを必要以上に考えたり、しなくていい心配までしてしまって苦しくなる。情報が好きで、収集することをやめられない。好奇心旺盛、注意力散漫。いろんな言い方があるけどとにかく落ち着きなく、いろいろなことに意識が向いて、その情報量に頭がパンクしそうになるんだ。
うまくいけばいろいろなことを同時にこなせたりもするんだけど、うまくいかなかった時にものすごい負荷がかかる。スマホに例えるなら、いろんなアプリを一度に立ち上げすぎてフリーズしちゃう感じかな。
そういう時に何か夢中になれるものがあると、他のことはスパッと断ってそこだけに集中できる。僕にとって何かを探究することは、考えすぎてしまう頭を鎮めるための手段でもあるんだ。
そういえば、若くて何者でもなかった19歳の僕はカレーにハマっていた。考えすぎない時間を作るために料理をする、という人は多い。カレー作りに没頭することで、僕は悩みや不安を忘れる時間を作っていたんだ。思えばあれが、僕の探究心の源泉だったのかもしれない。
何かにハマることで得られるマインドフルネスの効果。いつも考えすぎてつらくなってしまうという人にはぜひ実践してみてほしいな。
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社紋のモチーフとなったのは、なんとあの「野菜」
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