全てを手に入れても幸せになれるとは限らない
「歩くパワースポット」と呼ばれるようになったことをきっかけに始めた神社巡り。持ち前の探究心のおかげで、今ではこうしてみんなにおすすめの神社を紹介できるまでになった。
でも今の世の中って、探究とは真逆の感覚、なんでも簡単に手に入れられることがすごいみたいな価値観になってきている気がする。何かを買う時も自分では調べずに口コミのランキングだけ見て決める人が多いし、結果が得られるとわからない限りみんな自分からは動かない。欲しいものを何でも持っている人をかっこいい、羨ましいと持てはやすのもそうだ。
それでいうと僕自身も、そんな分かりやすいゴールを目指した時期がある。
湘南乃風はデビューするまでは大変だったけど、デビュー後しばらくは、当たり前にCDを出せて、出せば当たり前にランキング上位に入る状態だった。ありがたいことのはずなのにのに、それが楽しいかといったらちょっと違う。それまで1点1点地道に積み上げていたのが、一度テッペンをとってしまうとそこからは満点からの「減点評価」になる。ゼロから1にする作業と、10を9に減らさないための作業。同じ1の差なのに、10から9になる時の1はとんでもなく苦しい。
人は全部を手に入れてしまうと、それ以上増やせるものがないことに苦しくなる。失う怖さが前に立つ。僕はそれを知ってるからこそ、目の前のものを一つ一つ、時間をかけて積み上げていく作業が嬉しいし楽しいんだ。
積み重ねの作業が心のバランスを保ってくれる
神社巡りやShrinegram、本の執筆といった僕個人の活動も、まだまだ1点を積み上げている段階、「加点評価」の作業だ。
当然だけど、僕一人で湘南乃風のような結果はまだ出せていない。でも一方で湘南乃風は、昔いた場所からは少しずつ階段を降りてきている状況にある。そりゃそうだよね、20代で迎えたピークを20年近くも維持するなんてそうそうできることじゃない。だから今はどう盛り返すかっていう苦しさと戦っていて、もちろんそれは当然のようにやっていくんだけ、それだけだとやっぱり苦しくなる時がある。
そうした時に、何か夢中になれるもの、一つ一つ自分のペースと価値観で積み上げる作業があるおかげで、自分の中のバランスを保てている。減点評価の苦しさと直面しても「これがすべてじゃない」と思えるし、もう一度這い上がろうともがく姿にだって昔とはまた違う美しさがある……、そんなふうにも思えるんだ。
僕の場合は特殊な環境だけど、これはそれぞれに置き換えられる話だと思う。学校の成績や給料の額、SNSのいいねの数……。失っていく方の苦しさを味わってるからこそ、簡単に何でも手に入れている人を見て、そうなれない自分をちっぽけな存在だと感じてしまう人たちがいたら、僕は「そうじゃないよ」と言いたい。当たり前のように買えるようになった山のようなブランド品より、一生懸命お金を貯めてやっとの思いで手に入れたバッグの方が何倍も価値があるはずなんだ。
世の中の尺度に自分を合わせすぎると、いつか苦しくなってしまう。「何が得で何が損か」を自分で決められることが、幸せの秘訣なのかもしれないね。
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