かつて合格祈願をした神社に「お礼参り」
地元・鎌倉の荏柄天神社は、僕が中学受験の時に合格祈願をした思い出の場所。京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに「日本三天神」の一つに数えられることもある由緒ある神社だ(※諸説あり)。母親と二人で行ったこと、色鮮やかな社殿やきれいに整えられた境内は憶えていたけど、肝心のどこの天神社かということは、実は最近まで忘れてしまっていた。
それが最近になって東京の湯島天神に仕事でうかがった時、合格祈願の鉛筆を見て「あれ? これどこかで見たことある!」と、合格祈願に行った時のことを思い出したんだ。母親に聞いたら「鎌倉の荏柄天神だよ」と教えてくれて、一度きちんと行かないとな、と思っていたところだ。
正直、受験の後にお礼参りをしたかどうかも定かじゃない。でも、当時ここを訪れたことで、背中を押してもらえたのは今でもよく憶えている。祈願を終えた時に「よし、これで大丈夫だ」と思えたし、自分の自信につながったんだ。
あの時の感覚を例えるなら、受験勉強という名の「お弁当」に、最後に小さな「ふりかけ」を添えてもらった感じかな。
限られた時間の中精一杯やって、「やっぱもう一品作れたかな……」なんて思ったりもするけど、一度フタを閉めたらそこまで。また開けて、おかずを取り替えたりなんてしない。ただそのままだと締まりが悪いから、最後にふりかけを添えて「よし、完成!」ってなる、あの感じ。
お弁当自体の味はふりかけくらいじゃどうしようもできないかもしれないけど、あの小さい袋があるとなんか嬉しいよね。そういう、自分を信じるためのちょっとした安心感。僕にとって、合格祈願とはそういうものだ。
大事なのは合否より、一生懸命頑張れたという事実
受験勉強って終わりがないからつい不安になってしまうし、その気持ちはわかる。でも僕が思うのは、結果は努力以上にいろいろな巡り合わせによっても決まるということだ。
僕自身、中学受験では3校受験して2校合格、第一志望の学校には落ちた。何が差になったかと言ったら、第一志望では自分の得意な問題が出なかった、ということだけ。しかも、落ちた1校の試験は冬のものすごく寒い日で、僕の席はたまたまストーブが目の前。そのせいで試験中ずっとポカポカしちゃって全然集中できなかったんだ。でも、結局はこれも運だ。
第一志望には落ちてしまったし、せっかく入った第二志望の学校も結局は退学になってしまった。それでも、中学受験は僕にとって大きな成功体験になっている。大事なのは合否じゃなく「一生懸命やる」ということを訓練できたこと。おかげで大人になった今も勉強することが苦じゃないし、そうして身につけたいろいろなことが今につながっているからだ。
合格祈願だけじゃない、他のお願いをする時もそうだけど、神社へはまずやるべきことを全てやり切ってから、スッキリした気持ちで行くことが大事だ。見た目が悪くっても、味がイマイチでもいい。とにかく自分なりに精一杯詰め込んだ「お弁当」を持っていくこと。それを心がければ、きっと運だって変わっていくんじゃないかな。
そして中学受験で僕が得たものは、実はもう一つある。その話は、また次回に。
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