僕が中学受験で実力を出せた、意外な理由は
今回の訪問でが、あやふやだった自分の記憶を取り戻せたような感覚がある。思い出のある場所を訪れたり、頑張っていた頃を振り返るのは、自分を認めてあげるための大事な作業だ。本番で実力が出せるよう、背中を押してくれた神様に、改めてお礼参りもできた。
本番で実力を発揮するには、まずは目の前の準備を全力でやり切ること。そして背中を押してくれる何かを見つけること。ただ当時を振り返って思うのは、僕が本番で実力を出せたのは、合格という結果に執着しなかったからかもしれない。
そもそもなぜ僕が受験したのかといえば、僕の家では厳しく教育熱心な両親のもと、受験するのがごく自然な流れだったからだ。むしろ受験しないという選択肢がなかった。僕自身は受験する学校に特別行きたいわけではなく、小学校の友達が行く地元の中学校の方がいいと思っていたくらいだ。そんな本音に気づいたのか、親からは「受からなかったら(友達が行くのとは別の)隣の中学に行かせるからね」なんて言われたこともあったけど(笑)。
勉強は一生懸命やっていたし、絶対合格してやると思っていた。一方で、この学校に行けなくても別に構わないという気持ちもあった。今思えば、受かっても受からなくても、どちらに転んでも最高の未来を描けたことは大きかったかもしれない。
全力でやり切れたから後悔もなかった。だからこそ、人生思い通りにいかないのが大前提、そのうえで目の前のことを一生懸命やっていくという今のスタンスにたどり着けたのかなと思う。
あの時第一志望の学校に受かっていても……
中学受験で合格の喜びも不合格のつらさも両方経験した僕が、今頑張っている受験生たちに伝えたいのは、結果は結果でしかないということだ。
僕は3校受けたうちの2校で合格したけど、第一志望の学校には落ちた。一番偏差値が高かったから、もし受かっていればこの学校に入学していたと思う。そうなればたぶん、僕は湘南乃風にはなっていない。そう考えると、どっちが幸せでどっちが成功だったのかなんて分からないよね。入学した学校は結局退学になっているし、「人生終わった」と、当時は本気で思った。でもあそこで退学になっていなければ、やっぱり今の僕はない。
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「全部落ちてよかったのかも」と言える人生
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