富士山が“神様”と崇められた、そのワケは?
いつも神社へはあまり時間を決めずに行くことが多いけど、今回のように自然の中にある神社へは、やっぱり朝早くから出かけるに限るなと思った。空気はもちろん、太陽の光さえも澄み渡っている感じがする。とくに暑くなるこれからの季節は、参拝するなら午前中がおすすめだ。
それに僕の好きな神社を紹介するという目的があったおかげで、北口本宮冨士浅間神社の魅力が改めて分かった気がする。前回、この神社のすごさは来れば分かると言ったけど、どこがすごいのか、あえて言うなら「木」や「自然」だ。
苔むした灯籠が並ぶ美しい参道、社殿を守るようにして聳える巨木……。清らかな空気に包まれながら、木々の力強さを肌で感じていると、人間は自然に対してもっと謙虚であるべきだな、と思い知らされる。
人間は自然とともに生きている。いや、水や空気、植物といったさまざまな恵みによって“生かされている”、と言ったほうがいいかもしれない。僕らはつい、自分の力だけで生きていると勘違いしてしまうけど、そうじゃない。道具や技術があるからってこの世で一番みたいな気でいるけど、体一つで向き合ったら、僕らは自分よりずっと小さな犬にもまったく太刀打ちできない。それこそ僕らが呼吸できているのだって、植物が酸素を作ってくれるからだ。
北口本宮冨士浅間神社は、富士山を御神体としている。昔の人々は日々の暮らしから、そうした自然の厳しさやありがたさをちゃんと分かっていたからこそ、山々を神様として崇めたんじゃないかな。
パワーの宿る場所に、神社がある
北口本宮冨士浅間神社の魅力、もう一つはこの土地そのものにパワーが宿っている、ということ。古代、富士山は“神の住まう山”として足を踏み入れることが禁止されていた。この神社も禁足地だったことこそないものの、神の宿る聖域=ご神域ということで、ここにいると樹齢1000年を超えるご神木も、そういう場所だからこそ育ったんだなというのが分かるんだ。
1000年同じ場所に生き続けているからすごいんじゃない。もちろんそれもすごいけど、この場所のパワーがすごいからこそ、1000年生きる木も育つことができる。最近は神社巡りをしていても、それをすごく感じる。そこに神社があるからすごいんじゃない、すごい場所だから神社が作られたってことなんだ。
北口本宮冨士浅間神社はとくに分かりやすいけど、すごい場所だからここにある、というのはほかの神社も同じだ。町の小さな神社だって、その地域の中で一番恵まれた場所を選んで作られているし、だからこそ、ただいるだけで清々しい気持ちになれるんだろう。
つまり、パワースポットはみんなのごく身近にあるってこと。わざわざ遠出するのももちろんいいけど、今のような大変な世の中ではなおさら、自分の身近な場所を大切にすることを心がけたい。
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パワーをもらえるご神木が三本も!
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