家族って、リスキーな事業だよね。愛情が大きければ大きいほど、失うものも大きくなる。トレードオフみたいなものさ。だけど僕はそれを、すべて引き受けよう。
A family is a risky venture, because the greater the love, the greater the loss… That’s the trade-off. But I’ll take it all.
ブラピが言うように、家族って、本当に難しい。それは、ブラピの場合、文字通り「お金で買った」(というと聞こえは悪いけれど手続き上の話ね)世界各国の養子3人と、実子3人の、言わば“合併企業”みたいなファミリーだから、なんて事情は差し引いても。━━本来ならば、地球上で最も心からほっと出来る場所が家庭であるべきなのに、現実では、いちばんストレスを感じる場所であることだって少なくない。それは実の家族であっても、そうでなくても。
ブラピは「家族」と表現しているけれど、この言葉は、「結婚」のことを差すと思っていいだろう。もっと言うと、彼は「愛すること」について語っているんだと思う。それは、恋の「好き」とは全く別物だ。 愛とは、常に痛みと葛藤を伴う。ということを、私は初めてひとを愛したときに知った。恋するときは自分を偽りながらでも付き合うことが可能だけれど、愛し合うためには、無防備な自分をさらけ出さなければならない。ほら、家族の前では、誰でも無防備で居るでしょう?━━そして愛とは、無条件に相手を受け入れることでもある。
そうやって完全に心を許している相手が、もしあなたの信頼を裏切ったり、あなたを傷つけたりしたとき。その傷は、想像もつかないくらい深いものになるだろう。━━あなたは相手を愛してしまった。大切な家族として何年間も一緒に過ごし、財産も経験も共有し、同じ夢や目標を追う仲間だと思っていた。その相手━━夫なのか妻なのか子供なのか━━があなたを失望させるとき、愛が深ければ深いほど、あなたは痛手を負うことになる。そしてこの言葉を発したブラピは、元妻のアニストンや元恋人のグウィネス・パルトロウとの破局で、愛する人を何度も失って来ているのだ。
だけど。愛情が大きければ、一緒に過ごす喜びが大きいのも事実なんだよね。だから人は、何度愛に失望させられても、愛への希望を捨てられない。きっとブラピはアンジーと出会ったことで、愛することに再び希望を見出せたのだと思う。「もしかして、この人とだったら永遠の愛を築けるかもしれない」。「本当の自分を見せて、相手の嫌なところを全部知っても尚、一緒に居られるかもしれない」、と。だから自分の人生のすべてを賭けて、アンジーとの結婚という事業に打って出た。━━恐怖に打ち克ってリスクを取ったものだけが手に入れられる喜びがあるってことを、知っているからこそ。
結婚の定義を「好きなときにベッドでアイスクリームが食べられること!」と答えていた30代の頃とは、明らかに変わったブラピ。上のフレーズからは、そんな自由と引き換えにしても、結婚してアンジーと子供たちを一生守って行きたいという、男の決意が伺える。
この結婚が長続きするかどうかは、誰にもわからない。だけど大事なのは、ブラピほどのイイ男に、そこまで決意させたということ。男性にとっては愛する人の幸福や未来に対して責任を持つということが、何よりの愛の証しなんだもの。
photograph:AFLO
Edited by さかい もゆる
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